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愛犬 海斗

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このブログは私の心の日記です。
長いし、診療内容とは全く関係がないので、読み飛ばしを・・・

オーストラリアンシェパード 11歳8ヶ月。。
2020年12月17日 我が家の長男が永眠しました。



もともと海斗を飼い始めたのは、桂病院勤務医だった頃。
姉がペットロスに陥り、前の犬の生まれ変わりに出会ったから、その犬を飼って前の犬のように育てて欲しい。
と頼まれたのがきっかけでした。(初期教育を頼まれたということです)

前の犬(ジュン君)も元々は私が育て、大学で家を出ましたが、その後もずっと私を愛してくれた子でした。
体調が崩れていると、電話で聞いた時翌日を急遽休みにしてもらい実家に飛んで帰りました。
病院でとても辛そうな彼を見て泣き崩れたことを今も覚えています。
その夜、病院で彼は旅立ちました。
私が帰ってくるまで待っててくれたんだと。
悲しかったですが、最後に会えたこと、彼がものすごく喜んでくれたことを胸に抱き頑張ろうと思いました。

海斗君をドッグトレーニングまで終了させ、実家に送り届けたのですが、その後も玄関でずっと待っていて、ほぼ毎日嘔吐していると実家から連絡をもらいました。
その時私は、福井日赤形成外科科長として物凄く忙しく、犬を飼える状況ではなく年月が経てば慣れるかな。と様子を見ていましたが、彼は3年間同じ行動で、ひたすら私を待っていました。
オーストラリアンシェパードは忠誠心が強く、一度飼い主と決めた人間に一生連れ添うと言われており、生まれて1年の間に私を飼い主と認めてくれたようでした。
京都大学大学院に入学することが決定し、私が引き取ることを決意しました。
姉や母も非常に海斗を愛していて、手放したくはなかったのですが、海斗が望んでいることだからと。
ただ、京都で大型犬を飼えるような物件はほぼなく、不動産屋を何軒も回ったにも関わらず全く見つからず途方にくれる状況でした。
そこで私は家を買う決意をしました。
クリニックをビルではなく、公園や緑の多いこの場所で構えようと思ったのも海斗を考えての行動でもありました。
海斗は本当に私の人生に大きな影響を与えてくれました。
海斗がいなければ全く違う人生になっていたかもしれません。



ただ、この3.4年家族が増え、仕事が忙しくなってからはずっと我慢をさせてた。
ゆっくり目を見て話することもなく、抱きつくこともブラッシングもほとんどしてなかった。
時々頭をポンポンと叩く程度に撫でる程度で、ほったらかしにしていた。
それでも嬉しそうに、いつも私が廊下を通るたびに撫でて欲しそうに見つめてくれていたね。
朝の散歩の時だけ2人の時間だったけど、最近年老いて歩くのが遅く時間がかかることにイライラしてしまうこともあった。
家に帰らずずっと散歩していたいという愛犬に対し、仕事があるから帰るよっ!!と叱ってしまっていた。

夏が終わる頃、一度すごく辛そうにしていた愛犬を獣医に連れて行った。
どこも体調が悪くなるほどの原因はない。年だからもう仕方がないよ。
と獣医に診断されたことがあった。
それからしばらくは、物凄く愛情を注いだ。
海斗は復活した。
今思えば私の愛で充電されて、気力で頑張っていただけなのかもしれない。

そんな海斗に対し、夏バテ?とか思いながら、しばらくするとまた仕事の忙しさでいつもの扱いに戻ってしまっていた。
お腹を見せておねだりすることもあったけど、その後むせて咳き込むからとても切なかった。
ゆっくりさすってやればよかった。

海斗はペットホテルに預けると昔から体調を崩すので、旅行するときにはいつも車のトランクに乗せ、どこに行くのも一緒だった。
夏だけはペットホテルに預けるけど、極力一緒に行動した。
老犬だったのに、私は海斗を若い頃と同じように連れ回していた。
10月ふふ河口湖にも連れて行った。片道6時間ドライブ。
愛犬を車に入れて一晩過ごすことに対し、宿の人が心配してくれたけど、
昔からずっとしているから慣れているので大丈夫です。ホテルよりは一緒が良いのでと言っていた私。
大丈夫じゃなかった。ただ、我慢してくれていた。私のために。

2020年12月15日火曜日、朝雪が降った。
雪が大好きなはずなのに、朝の散歩はすぐに帰るのでおかしいとは思った。
朝ごはんも食べなかった。
最近、海斗の食事が何が良いのか迷っていた私は、ネットで調べては良いとされているペットフードを購入していた。
今回も変えて間も無くだったので、これは嫌いなのかな?などと気軽に考えていた。
息も気持ちしんどそうにしていたので、自分で聴診器をあててみた。
物凄く鼓動が早く、音も激しくそれが正常か異常なのか獣医じゃない私にはわからなかった。
病院に行く?と海斗に聞くとそこから急に元気になった。
おそらく、私が心配していることを悟って空元気ぶったんだと思う。
スタッフにも甘えておやつをねだったり、郵便屋さんが来たら吠えたり、本当にいつも通りの海斗だった。
私は病院に連れて行くこともせず、勝手に安心していた。
前回のこともあったし、歳のせいかなと勝手に思っていた。

2020年12月16日水曜日、今年最後の旅行を計画していた。
コロナもあるため、ほとんど人のいない山奥にあるプライベートな宿。
片道3時間。
これで旅行は最後にしようかな。コロナも海斗も心配だし。と思っていた。
ただ、遅かった。
その日、朝の4時にパートナーが散歩に行ってくれたので、私は朝海斗と散歩に行かなかった。
朝郵便屋さんが来たときに、少し横を通ったけど目も合わせず、頭も撫でず荷物を受け取り、足早に去ってしまった。
海斗はいつも通り、私を守ろうと郵便屋さんに威嚇をしていた。
もし、あのとき散歩に行っていたら、目を見て会話をしていたら海斗の異常に気づけただろうか。

旅行の準備をしていると、海斗はすでに車に乗っていた。
車の荷台にいるので、私からは彼は見えない。
その後宿についても、夜の散歩はパートナーが行ってくれたので、私はのんびりしていた。
本当に最低だ。
火曜日サインを感じていたのに、なぜあんなに鈍感でいられたのだろう。

2020年12月17日木曜日。
いつもは朝6時には散歩に出かけるけど、この日に限って後でゆっくり海斗と散歩しようと考えてしまった。
温泉に浸かったり、雪を眺めていた。
本当に、本当に最低だ。
8:30朝食会場に向かうときに、急に予感がした。
すごく嫌な予感。
パートナーに言った。
「海斗に水はあげた?死んでるかもしれない。すぐに持っていって」と。
この時は無意識にこの言葉を発していた。
「死にはしないだろ。」と言いながら去った彼が、真っ青な顔で戻ってきた。
私は、朝食場で、従業員が飛んでくるくらい叫び声をあげた。
すぐに海斗の元に向かった。
海斗は、寝ているわけでもなく、伏せでもなく、頭を綺麗に上げた状態で、待ての姿勢で死んでいた。
ドアがいつ開いても良いように、私にすぐ会えるように待っていたのだ。
まだついた時点では暖かく、目の光が失われている途中だった。
本当に今旅立った感じだった。
私は信じられないくらい叫んだと思う。
名前を呼んで、こんな別れは嫌だ。ごめん。など言葉にならない言葉をありったけ叫んだけど、彼は戻ってこなかった。

私が火曜日に病院に連れて行っていれば
旅行なんかにこなければ
夜のうちに見に行ってあげれば
朝6時に散歩に行っていれば

世界一の寂しがり屋の海斗が1人で旅立つことはなかった。
私が殺したも同然だと自分を責めて、その後の記憶はあまりない。
クリニックに電話し、ことの事情を話し今日は海斗の葬儀に当てることを伝えた。
スタッフも海斗を連れて帰ってきて欲しいと、お別れを言いたいと言ってくれ皆んなで泣いて別れを伝えた。
こんなに愛されている海斗なのに、最後は1人暗く狭い車の中で旅立たせてしまった。

今も自分を責めて、泣いてしまうけど、泣けるだけ泣こうと思っている。
どんなに後悔しても時は戻せない。
仕事モードに入ると別人格になるのか、いつも通りの仕事ができている。
みんなが喜んでくれると、私も嬉しい。
ただ空き時間が本当に辛い。
頭の中では自責の念ばかり。
パートナーも自分を責めて、全くあれから食事をとっていない。
これがペットロスか、と思いながらこのままでは海斗が悲しむ。
海斗も私と一緒で、私たちが喜んでると彼も嬉しいはず。
まだまだ立ち直るには時間も必要だし、自分を責める気持ちは決して無くならないと思う。
一生それは背負っていかなければいけないのだろうと思っている。

ただ、前に進まなければと思い、このブログを書いた。
自分の中で自分自身で消化したいから。
自分が行った行動は消せないし、許せないけど、もっと優しさや、周りを思いやる気持ちを持たなければと思う。
自分本位だったと。
海斗が最後に残してくれたメッセージを無駄にしないよう生きていきたい。

最近海斗と散歩に行っている間、本当に虹がかかかる日が多かった。
虹の橋という物語をペット葬儀屋さんが教えてくれた。
それを呼んでまた泣いた。



海斗たくさんありがとう。
今後もずっと私はあなたを愛し続けます。
また会えたら、いっぱい謝らせてね。

当たり前のこと、身近なところに本当に大切なものがあると思います。
それを失う前に、気づいて大切にしていきましょう。
 
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